地域教会と 五役者の働き
                                                       2014 11/15




  五役者(ごえきしゃ、あるいは 五職、(エペソ4:11))とは、「職業」「職(office)」「制度」ではなく、神学校を出たからといって牧師になるのではなく、直接、御子イエス様が個別に「賜物」として「与えられた」ものです。 (ただし、牧師の賜物と、教師の賜物は、別々ではなく かなり共通しているものであることを現している可能性があります。(**↓) ・・・ 使徒、預言者、伝道者、牧師・教師

  これは、御霊9つの賜物を分け与えられる(Tコリント12:11) ・・・ 知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力

  御父が 教会に 7つの奉仕(賜物)を分け与えられる(ローマ12:6−8) ・・・ 預言(prophecy、御霊の人(Tコリ14:37))、奉仕(ディアコニア、ministry、礼拝・賛美奉仕、教会管理・貧者 対応)、教える事(teaching)、勧め(exhortation、カウンセリング)、分与(giveth、福音宣教と貧者のために分け与える賜物(*))、指導(ruleth、采配)、慈善(sheweth mercy、助ける働き)

  (また、御父が教会に 御体の各器官として任命(εθετο= set、put)されるのは、 第一に 使徒、次に 預言者、 次に 教師、 それから 奇跡を行う者、いやしの賜物を持つ者、 助ける者(helps)、治める者(governments)、異言を語る者、など。(Tコリント12:28))

と同じで、すべて「賜物」です。
  また、これらの、御父、御子、聖霊様が与える 3つのカテゴリーの中で 「預言」だけが共通していて、「預言」(神からの言葉にあずかり、特に未来のものを持ってくる賜物)が「神の三位一体」の中心点に位置していることを表しています。 ・・・ 「イエスのあかしは預言の霊です」(黙示19:10)、主はことばの神、「初めに言葉」(ヨハネ1:1)があって主の計画が始められる(源泉性が最も高い賜物)、主は語られたことばを必ず成就させる(=聖なる方、イザヤ55:11)、主は時間を超越された方: 「昔いまし、常にいまし、後に来られる方」(黙示4:8) ・・・ YHWH(ヤハウェ)は 「彼がある」の未完了相。(主の御名) 一方、主の御前では すでに完了している(マルコ11:24) ・・・ 主が語られる言葉は 完了相。 信仰の歩みには、「からし種」程度のほんの少しの 「神の言葉」が必要です。

  「霊(in spirit)と まこと(in truth)による本当の礼拝者(the true worshippers)」(ヨハネ4:23) = 「聖霊様と イエス様にあっての礼拝イエス様=Truth、真理」(ヨハネ14:6)であり、 = 「霊的な(妥当な)礼拝」(your reasonable service、λογικην λατρειαν υμων=reason as worship ローマ12:1) です。 この「正当な、道理に合う礼拝」とは、具体的には直後に書かれてある、この「御父が与える7つの奉仕」(12:6−8)ということになります。
  霊と真理による礼拝は、御父、御子イエス様、聖霊様の 三位一体が現れることにより、地上で 天国が形成(*)されます。

  * 賜物の人によれば、 聖霊様によって複数で祈っている時には その間にイエス様が立っておられる(「二人、三人、 わたしの名によって集まるところには、わたしも共にいる。」)、 守護の御使いが他の御使いを呼んで 部屋が一杯になる、 ごくまれに 御父の御座が雲と共に下って来られる、 霊の戦いの時には 力強い御使いが共にいて戦う、 などのことが 実際的なわざと共に 見られます。 聖霊様は非常に速い動きをされる。  逆に、保守的な教会、あるいはカルトの教会の礼拝で、イエス様がいない、など。
  * (注) 人の霊の見分けは、(死後はそのときの状態で固定されますが、)生きているうちは、日々刻々と変わりうるものです。多少悪いぐらいでは、悔い改めの霊的刷新で良くなることも多々あります。

  ダビデ(礼拝者)は、サウルやアブシャロムに迫害されていた時、宮からずっと離れていた場所で 主の前に静まって、礼拝を捧げていました。それと同じように 私たちも、主が臨在される所ならばどこででも 御父に礼拝を捧げることができます。私たちの体や 御体(教会)こそ 「主の宮」です。

  祈りや賜物の働きは 主の再臨以降は止みますが、礼拝だけは、愛と信仰と希望が伴って、永遠に続きます。
  「愛、慈愛、慈しみ(αγαπη(アガペー)=charity)」だけでなく「信仰(faith)と希望(hope)」も永遠に続くこと(Tコリント13:13)の意味は、礼拝天使(セラフィム)によるあかしがあります。 「聖なるかな」(黙示4:8)は、天使たちは 造られてからこのかた 御座の回りを一周するたびに、今まで一度も見たことのない主の新しい栄光を垣間見るため、驚愕してこのように叫んでいます。 天国は決して退屈なところではなく、主は、常に新しい 永遠の創造主です。新天新地において、主のいのちを永遠に体験し続けます。わたしたちはそれに応答して、主に礼拝を捧げ続けます。


  * 什一献金の束縛は不法です。マラキ書(3:8−10)は旧約時代の定めで、御子イエス様の十字架によって信じる者にとっては、律法の のろいは無効になりました。献金はあくまでも自発的なものでなくてはならず(Uコリ9:7)、いかなる強制もあってはならないのです。(ま た十分の一は計算法によって大きく変わるという問題があります。定職のある人たちに対しては、月定献金という形で集めている教会が多い。) そして、本来 の教会の経済を担うのは、御父が定める この「分与」の賜物の奉仕によって中心的に行われるべきです。一般の人がマラキ書の定めの通り教会に献金したからといって何も起こりませんが(天には宝を積みます)、「分与」の賜物の人は、与えればより与えられます。

  ** 「11 And he gave some, apostles; and some, prophets; and some, evangelists; and some, pastors and teachers; 」(KJV)
   → (直訳) 「彼(キリスト)は、ある者たちを 使徒たちに、他のある者たちを 預言者たちに、他のある者たちを 伝道者たちに、他のある者たちを 牧師にして教師、それぞれ任命されました(それぞれの賜物与えられました)。」(エペソ4:11)
   「11  Κι αυτοσ εδωσε αλλουσ μεν αποστολουσ,  αλλουσ δε προφητεσ,  αλλουσ δε ευαγγελιστεσ,  αλλουσ δε ποιμενεσ και δασκαλουσ」
   και(ケー)は @ 〜と〜(並列、A and B)、 A 〜にして〜(等しい、A=B) の2つの意味、 もし後者としてとると 「牧師にして教師」(牧師 ≒ 教師)となる。 また、δε(= it、 the)の冠詞は 牧師と教師の両方に一つだけかかっている。
        αλλουσ other、  ποιμενεσ pastors、  δασκαλουσ teachers
        διακονιασ(ディアコニア、エペソ11:5) ministry、 奉仕、働き ⇔ 職業(×)





  五役者の中でも、「使徒」が教会の方向性を決め、全体を引っ張っていきます。(***)
  新約時代には、使徒が 子羊の12使徒以外にも存在し、預言者たちもいました。(「使徒たちパウロとバルナバ」(使徒行伝14:14)、「預言者たちや教師たちがいた」(使徒13:1))
  教会形成の働きは、「使徒と預言者の土台」の上になされます。(エペソ2:20) ・・・ 預言者(旧約聖書)+使徒(新約聖書)という「聖書」の土台の上に、という意味もありますが、具体的な使徒、預言者の賜物を与えられた働き人を通して、真の教会形成が行われることを表しています。

  使徒行伝の、パウロの1回目の伝道旅行では、パウロとバルナバのペア(使徒+使徒)であり、アジアの バルナバやマルコの郷里の近辺のみでした。その後、使徒パウロが 使徒バルナバと ヨハネ・マルコのことで反目し、パウロが 預言者シラスとペアを組み(使徒+預言者)共に(2回目の)伝道旅行をした際には、摂理的な奇跡が多く起こり、より遠く、ギリシャ(マケドニア、アカヤ)というヨーロッパ伝道が始められ、教会形成がなされ、また教会を強める働き「諸教会は強められ、日ごとに人数が増し」(16:5)ということが、1回目よりも強力に成し遂げられていきました。
  (3回目の伝道では、パレスチナからギリシャへの宣教の要衝である エペソ中心の伝道、 (その後) → (パウロ単独で)エルサレム → ローマへ)

  * パウロ: 使徒+伝道者+教師(兼任、Tテモテ2:7)、 テモテ: 教師(上記より、おそらく牧師でもある)(”伝道者(宣伝者)”として働くこと(Uテモテ4:5)は、五役者の「伝道者」ではなくても誰でもやっていたことです。) 使徒は 預言者のアドバイスを聞かないと 暴走することがある。

  ** 制度的な神学校出の牧師、海外の団体(福音派など)の経済援助による教会設立(戦後〜昭和30年代) → 反カリスマの間違った教理、 艱難期 前 携挙 という間違った教理、 礼拝にイエス様が見当たらない(by. 霊を見分ける賜物の人による)、教会の祈り会である油注がれた人たちが祈っているその間にはイエス様が立っている(by. 霊を見分ける賜物の人による)、 カトリック教会の上のほうでは サタンと ミカエルのような御使いが常に戦っている。(まだ脈がある)(by. 霊を見分ける賜物の人による)、 など。

  カトリックなどの”制度的教会”: 「ニコライ派」(黙示録2:6、2:15)=「Νικολαιτων(ニコライトン)」 = Νικαν(ニカン、win) + λαωνσ(ラオンス、people) ・・・ 「民に勝つ、あるいは、民を勝ち取る」 → 極端な教派主義、 宗教による支配、 政治的教会
  黙示録2:14に「バラムの教えと同じように」とあるので、 「バラム」(民数記22:5、アモン出身の占い師・ 主の預言も語った) = 「BiLeAM、ビレアム(ヘ)、Balaam(英)」 = 「Be(on、at) + LE(not、do not) + AM(people) 、not of the people民でない者」、となって、 「異邦人(あるいは にせ預言者)が主の民を支配する」 という意味です。
    ・・・ 黙2:6 エペソ(米国福音派、○○国教会 ⇔ カトリック の行いを憎む)、 黙2:15 ペルガモ(○○○正教会)




  *** 「真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(Uテモテ4:4) ・・・ 今の時代の傾向

  もし、イエス様が定める 五役者が 地域教会にいなければ、教会のすべての働きが ”ファンタジー”の方向に行ってしまいます。 ・・・ ”ファンタジー”と言っても日本語の軽い意味ではなく、きわめて深刻な問題です。サタンは「うそつき、偽りの世界観の父」です。(ヨハネ8:44)

  聖霊様以外の霊による働き: まじない、卜占(レビ19:26)、霊媒、口寄せ(19:31)、+霊的姦淫(20:5)、 1)主の御名によって、主が語られていないことを語ること( ex) 知恵・知識は本物で、信用させ、続けて出まかせを”預言”として語る)、( 2)他の神々の名による預言者) ・・・ にせ預言者・にせキリスト・にせ使徒 → 「実現するかどうかで見分けなさい」(申命記18:20)、 「(品性の)実を結んでいるかどうかで見分けなさい。」(マタイ7:16)

  ニューエイジ: イエス様抜きで、幸福を追い求める働き・ムーブメント。 神から離れ、”自分の力”で幸福を追い求めようとする ”原罪”の性質が基本にある。
  幸福を第一に求めるのではなく、まず第一に 主のみこころを求めるべきである。(「神の国とその義をまず第一に求め続けよ。そうすれば、それに付け加えてすべて与えられる。」) 世的な幸福を第一に求めると 惑わされます。(繁栄の神学) 聖霊様は、「罪、義、さばきについて、世にその誤りを証明する。」(ヨハネ16:8) 十字架を負わないと惑わしの霊(にせ預言の霊)が働く。(U歴代誌18:21)

  また、エキュメニカル運動(聖霊様によらない制度的な、宗派・宗教の一致運動)、 日ユ同祖論が嵩じた 神道との合同礼拝などの霊的姦淫(クリスチャンの側の罪)には要注意。ただし最近では、主だったところの霊の戦いが行われているので、神道関係者がクリスチャンと共にイスラエルに行くなど、キリストのほうに歩み寄る動きが現れてきています。

  基本的にはあくまでも、みことば聖霊様の現れ(Tコリント2:4)によって、聖霊様の自由のもとに 福音宣教 および 弟子化がなされるべきです。


   ∴ いわゆる五役者の働き、特に、使徒、預言者による 主からのビジョンと 言葉が 教会には常に必要。(「幻の無い民は ほしいままにふるまう。しかし、律法(みことば)を守る者は幸いである。」(箴言29:19))

  また、世界の大リバイバル中〜直後、終末直前の 教会の状態は、(地域教会ではなく、普遍的教会(一般的教会)として、)異邦の7つの教会に分類され、その上には7人の御使いがいます。(黙示録2〜3章、→ 終末の異邦の7つの教会) 一方、この「異邦人の完成」(ローマ11:25)の成る時、 イスラエルは短時間に接ぎ木され、「2つの教会(2本のオリーブの木・2つの燭台)」(黙示11:4、ゼカリヤ4:3) が成立し、全世界にあかしします。


     ( 参考) リバイバルの実例:  1980年以前の韓国のリバイバル、 中国人預言者、 アズサストリートのリバイバル






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